健康ブーム

フィットネス・スポーツジムがここ数年で激増した。健康に対する思考の変化なのか、これはビジネスになると見込んだ経営者の仕業なのかは分からないが、とにかく、ジムの施設が目立つ。それだけ金銭を支払ってまで身体を鍛える人が多いのだろう。ひょっとすると、鍛えることだけが目的ではないのかもしれない。ジム仲間なるものを作って、そこで新たなコミュニティ、つまり、情報交換等をすることを目的としている人もいるのかもしれない。いずれにせよ、その数が急増していることに間違いはない。


斉藤賢治は、そんなジムに通う連中を腹底では蔑んでいた。

「自分の身体の健康も管理できないのかよ。そもそも、運動するのに金を支払うなんて搾取に等しい」

仕事から汗だくになりながら帰宅すると、まず風呂に入った。現場での作業はこの時期特にしんどい。風呂から上がるとラフな格好に着替え、日頃の不満を彼女に対してぶつけた。実は彼女も最近ジムに通い始めた一人だが、賢治があまりにジムに通う連中を非難するので、そのことは秘密にしている。

「さあさあ、夕食の支度出来てますよ」

二人は同棲している。今日のメニューはおでんだった。彼女は賢治の話を半分聞き流した。日頃の不満と言えばジムに関する事ばかりだったので正直辟易していた。

「この出汁には乳酸菌がたっぷり入っていてね、それでね腸の働きを調えてくれるのよ」

賢治は、そんな彼女の言い草には辟易していた。乳酸菌がどうのアミノ酸、リコピン……、それこそ健康のことに関してなら枚挙に暇がない。

「なぁ、恵。近頃、健康のことに関して敏感じゃないか」

「あら、そうかしら。あなたの気のせいですよ。せっかくの熱々のおでんが冷めてしまいますよ」

むしろ、冷めた方が賢治には良かった。毎日猛暑日が続いており、加えて風呂上がりで身体は熱かった。さらに、エアコンの故障ときている。熱々のおでんなど食えたものではなかった。


おでんの出汁に乳酸菌を含ませると身体に良いこと、あまりに冷たいものばかりだと腸の働きが悪くなるなからということで熱いものも身体に取り入れた方が良いことなどは全て、恵がジムのトレーナーから教えてもらったことだ。お互い真逆の思考の影響で、お互いが辟易し合っていた。


隣りでは彼女が気持ち良さそうに寝息を立てて眠っている。二人は同じベッドで寝ている。しかし、この調子では、これ以上の仲になることは到底出来なかった。どうも彼女とは相性が合わない。付き合って3年以上経過しているが、頃合いを見計らって別れを告げよう。


彼女は役所からもらって来た離婚届を賢治に突きつけていた。卓上に置いた離婚届に賢治が万年筆で記入をし始めた。片手には印鑑を持っている。淡々と所定の事項に記入していった。離婚することに何の抵抗も見せずに。その姿は人間の形をした機械に見えた。

「あれ、そう言えば、私たちまだ婚姻届を出していないのにどうして離婚の話をしているのだろう」

彼女が疑問に思った瞬間、隣りでは賢治が気持ち良さそうに寝息を立てて眠っていたー。