本当のような嘘なような故人に関する話

 しげる君の爺さんやりゅうじ君の婆さん、やっ君の婆さん、村田さんの婆さん、浅野さんの婆さん、そして、酒屋さんの婆さんもみんな、僕の近所の人たちで、みんな故人だ。

 この方たちがお亡くなりになる前、僕はこの方たちの全員とまでは言わないが、ほとんどの方たちの姿をこの目で見ている。

 散髪屋さんで会ったり、近所を散歩されていたり、畑をされていたりしていた。

 僕の多分思い過ごしかもしれないが、死ぬ直前僕にお別れをしてくれたんだと思う。

 しげる君の爺さんは、小学校の校長をしておられた方だ。小学生の頃、しげる君家の庭でバスケットをして近所の子らとよく一緒になって遊んだ。そして、ボールを家にぶつけると、しげる君の爺さんが現れてよく注意されたものだ。当時は、みんなしげる君の爺さんのことを亀仙人と影で呼んでいた。

 しげる君の爺さんが亡くなる前、近所の散髪屋さんで出会った。その頃、僕は歳もいっていたので挨拶はしなかったが、失礼だが、髪の毛がないのに散髪して意味があるのかと思っていた記憶がある。

 りゅうじ君の婆さんは、お寺の住職をしていた方だ。小学校時代は、お寺の横に小さな広場があり、集団登校でみんなが集まるまで、その広場でよくサッカーをして遊んだ。また、放課後なども同じくサッカーや野球をしたりして遊んだ。広場には少し高めのフェンスがあり、それを超えると田んぼをしておられた。実は、誰の田んぼかまで分からないが。そこにビニールハウスをしておられたのだか、よくそこへボールが飛んでいき、ビニールが破れたこともあった。今から思うと申し訳ない。

 言い忘れたが、お寺の敷地では、缶蹴りをよくやった。そういえば、日曜学校と言ってお寺でお経も読んだっけ。そうそう、年末になると、除夜の鐘があり、りゅうじ君の両親が温かいうどんを振る舞ってくれた。それで、除夜の鐘が始まるまで、お寺の本堂でみんなとゲームをして遊んでいたな。まだあるぞ。夏には、地蔵盆でロウタキという遊びもしていた。小さな鉄のカップに刻んだロウソクに色の付いたクレヨンを少し入れて、それを火にかける。火は主にロウソクの火だ。全部溶けきったら火から下ろし、冷めるまで待つ。あとは、カップから取り出したら完成だ。色がキレイで作るのがとても楽しかった。地蔵盆の時限定だから、みんな結構夢中になってしていたな。

 りゅうじ君の婆さんが亡くなる前は、近所を歩いているのを見た。とても亡くなるという感じはしなかったが、それからしばらくして亡くなられた。確か、すい臓が悪かったような記憶がある。

 酒屋さんの婆さんと村田さんの婆さんは共に自宅の隣の家の婆さんだ。小さい頃よくお世話になったな。

 

 ここからは近所の人ではないが、僕に関わりがある方だ。

 まずは、上出歯科の上出さんだ。僕は、歯磨きをしなかった時期があったので、小さな頃よく虫歯を作った。それに加えて、歯が弱かったのもあると思う。最初に掛かったのは保育園だったと思う。母方の祖母に連れてこられた。恰幅が良く、眼鏡を掛けていた。

 上出さんの死は、大人になってから知った。いつものように、上出歯科に行ったら自動ドアの入り口に貼り紙がしてあった。その貼り紙には上出さんの逝去について書かれていた。

 上出さんがが亡くなる前、直接姿は見ていないが、上出さんに似た人2人の人に出会った。僕の勝手な憶測だが、「私はもうじき死ぬ。だから、こういった形で君に会っている。私が死んだらそっと忘れてくれ」と言っていたのかなと今になって思う。

 最後は、自動車の保険屋である奥居さんだ。数える程しか会ったことはないが、奥居さんが亡くなる前、保険のことで自宅に来てくれたことがある。それから数年後に甲状腺の癌で亡くなったような気がする。

 最近は夢で見ないが、これらの故人に関する夢を見たことがある。今でも鮮明に覚えている夢が一つだけある。それは、自動車の保険屋奥居さんに関する夢だ。

 近所の通りを、奥居さんに背を向ける形で全速力で逃げている。奥居さんは刃物を持って僕を狙って、同じく全力でこっちへ向かってくる夢だ。

 あまり良い夢ではないかもしれないが、何の意味があるのか今になっても分からない。

 

 以上が僕の身近な故人に関することだ。僕の憶測が混じっていたり、これらの人に僕が出会って何日後に亡くなったかなど具体的な日数まで分からない点はご了承いただきたい。


 人間は死んだら、その人自身は何も残らないけれど、残された人の記憶の中では生き続ける。ただし、その人が生き続ける限りにおいて。そのようにして、故人は、一部例外はあるが、段々忘れ去られていく。もちろん、家系図や写真などがあれば、うんと昔の人の名前や顔などは分かるかもしれないが、その人のオーラまでは分からない。分かるはずがない。だって、直に会ったことがないのだから。だから、故人は次第に忘れ去られていくと言えるだろう。そして、何事もなく、顔を持たない世の中は回っていく。何事もなかったようにー。


 このような駄文を最後まで読んでいただきありがとうございます。