思考の整理学 II セレンディピティ

 戦後しばらくのころ、アメリカで対潜水艦兵器の開発に注力していた。それには、まず、潜水艦の機関音をとらえる優秀な音波探知器をつくる必要があった。

 そういう探知器をつくろうとしていろいろ実験していると、潜水艦から出ているのではない音がきこえる。しかも、それが規則的な音響である。この音源はいったいなにか、ということになって、調べてみると、これが何と、イルカの交信であった。

 それまでイルカの「ことば」についてはほとんど何もわかっていなかったのに、これがきっかけになって、一挙に注目を集める研究課題としておどり出た。

 もともとは、兵器の開発が目標だったはずである。それが思いもかけない偶然から、まったく新しい発見が導かれることになった。

 ところで、このセレンディピティということばの由来がちょっと変わっている。

 十八世紀イギリスに「セイロンの三王子」という童話が流布していた。この三王子は、よくものをなくして、さがしものをするのだが、ねらうものはいっこうにさがしださないのに、まったく予期していないものを掘り出す名人だった、というのである。

 この童話をもとにして、文人で政治家のホレス•ウォルポールという人が、セレンディピティという語を新しく造った。人造語である。

 中心的関心よりも、むしろ、周辺的関心の方が活発に働くのではないかと考えさせるのが、セレンディピティ現象である。視野の中心部にあることは、もっともよく見えるはずである。ところが皮肉にも、見えているはずなのに、見えていないことが少なくない。

 考えごとをしていて、テーマができても、いちずに考えつめるのは賢明でない。しばらく寝させ、あたためる必要がある。

 寝させるのは、中心部においてはまずいことを、しばらくほとぼりをさまさせるために、周辺部へ移してやる意味をもっている。人間は意志の力だけですべてをなしとげるのは難しい。無意識の作用に負う部分がときにはきわめて重要である。セレンディピティは、われわれにそれを教えてくれる。