この気持ち

途中で帰ればよかった。いや、そもそも声をかけられた時に飲み会の誘いを断ればよかったのだ。僕(雄介)は、いつも優柔不断だから、険悪な雰囲気になった時には、雪崩のように歯止めを知らずに崩れ去る。

「雄介、久しぶりだな。元気にしてるか」

「あっ、義紀君。どうしたの?」

二人の関係は小学校の同級生という間柄だ。義紀は現在中学校で教鞭を取っており、科目は保健体育を教えている。休日は、ソフトボールクラブに所属しており、これからのシーズン、他のチームと対戦するために遠征の回数も増えてくる。

「来週の対戦に向けて、こうやって体調を調えているんだ」

義紀はランニングをする格好になった後、自慢の鍛え上げた肉体を僕にアピールしてきた。どうやら、僕の自宅の前がランニングコースの一部になっていて、それで、偶然出会した僕に声をかけたのだ。

「ところで、今度一緒に飲みにいかないか?」

小学校以来の付き合いだからかれこれ約20年以来の再会ということになる。

僕は、しばらく考えながら特に予定もなかったので快く承諾した。

「いいよ。また日程が決まったら連絡して。待ってるね」


それから数週間後に飲みに行くことになるが、その前日に追加の連絡が入った。内容は、もう一人同級生を連れて来るというものだった。与太郎という僕と中学生時代同じクラスだった同級生だ。義紀と与太郎は同じ教師仲間で、意気投合し合い頻繁に飲みに行く親密な関係だ。そこに小中学校以来久しく会っていない僕がその飲み会に加わったらどうなることくらい自明のことである。義紀と与太郎がお互いによく話し合い僕だけが浮いた状態になる、そのような構図になることは容易に想像がついた。

「そうだよな。僕と二人で飲みに行くなんて何かおかしいと思ったんだよな」

僕は、自室に籠りながらLINEの画面に向かって独り言を吐いた。この時点でも事実上断ることは出来たはずだが、孤独感を感じていた僕は断ることは出来なかったし、加えて優柔不断が相まってそのままズルズルと飲み会当日を迎えてしまった。


一軒目は19時に近所のカレー屋で飲むことになっていたので、約束の時間にその場所に出向いた。しかし、時間になっても義紀と与太郎は現れない。不穏な空気が僕の辺りだけを取り巻いているかのようだ。スマートフォンの画面を無駄に見て時間を取り繕う。結局二人は10分程遅れてやって来た。しかも二人は仲良く肩を並べてやって来たのだ。この時から僕は家に帰りたかった。既に仲間外れにされているような疎外感を感じたからだ。


「暑いね。アブラゼミの鳴き声が余計に暑さを助長する」

義紀が誰に声を掛けるでもなく言うと、僕は二人に軽く会釈した。

「少し遅くなってごめん、さあ、中に入ろっか」

店内は、エアコンが効いて涼しかったが、義紀だけはこの冷気が効かないのか、汗が額から流れ続けていた。最初はみんなでビールを注文した。義紀と与太郎の二人だけならいつも和やかなのだろうが、僕が加わったことによって、若干他所よそしくなっている。与太郎が声を掛けてきた。

「雄介君は今何してるの?」

「不要になったエアコンの解体作業だよ」

「ふーん」

「作業時間は短いんだけどね」

「元気になって良かったね」


二人は僕の内情をある程度は誰かから聞いていたのだろう、明らかに気遣っている節が読み取れる。これ以上、深い話は二人ともしてこなかった。僕の内情を話せば長くなるので、全ては話せないが、以前水道のバルブの営業職に就いていた頃、営業成績が芳しくなく、毎日継続的に上司に叱責されていた。

「給料泥棒」という言葉をどれほど言われただろうか、気が付けば僕は自動車を走らせ海に面した崖から転落していた。苦しみから自然と逃れようとしていたのかも知らなかった。


何だろう、乾杯をすることによって本来ならそれまでの疲れが一気に開放されるような快感が押し寄せて来るはずなのに、それとは真逆の気まずさが押し寄せてきた。この後は、僕を除いての二人での会話がメインだった。甲子園の話、恋愛の話、ドラマの話、時々僕は二人の会話に相槌をするだけだった。誘ってくれたことは正直大変嬉しい。しかし、その優しさが僕には、やり切れないほど辛かった。これなら、これなら、独りで自室に籠もって読書でもしていた方が幾分かマシだった。来るべきではないと思った。そんなこと初めから分かっていたではないか。しかし、もしかしたら楽しい気持ちになるのでは、と期待していた僕がいたことも事実である。そのような期待など綺麗さっぱり捨てたらよかったのだ。捨て切れなかったこの優柔不断さを僕は心底憎んだ。さよなら、僕の同級生、さよなら、僕の過去ー。現在は、他人のことなどどうでもいい。