つまらなさの感じ方

 広大で雄々しい海が眼下に広がっている。私は、そのほぼ真ん中を誰かと一緒になって泳いでいる。自分でもこんなに泳げるものかと内心驚嘆している。清々しい気分だ。

 しかし、突如、その真ん中に巨大なホール(穴)が現れた。気持ちよく泳いでいた私とその誰かは、そのホールの脇を掠めながら何事もなかったように通り過ぎる。

 通り過ぎた後、冷やっとした感覚が全身に襲ってきた。良かったそのホールに落ちなくて。そう思った頃は、冷やっとした感覚から安堵の気持ちに変わっていた。


 こんな夢を見た。毎日何かしら夢を見るが不思議だ。夢というものは。現実はつまらないのに夢の世界では比較的スリリングに満ちていることが多い。やはり、つまらなさというストレスが溜まっているのだろうか?僕はどうしたら、いや、どのような考えや思考を持てば、もっと楽しめるのだろうか?このつまらない毎日を。

 今日は、このつまらなさが裏目に出た日だった。調子のいい日は、このつまらなさが平和だと思えるのに。

 機械が進化しようとも感情を持つことはないだろうと僕は思っている。機械が思い悩んだりするだろうか?幸せや不幸を感じ取ることができるだろうか?

 賢さでいったら機械の方が上手だと思うが、所詮、人間の手で創り出されたものだ。人間の繊細さには敵わない。

 何が言いたいのか自分にもよく分からないが、こんなことを書けるのも人間だけだと思う。機械と違って人間は無駄なものばかりの塊かもしれないが、その無駄が楽しさの根源なのかもしれない。

 だとしたらその無駄をたくさん身につければいいだけの話なんだが、それがなかなか身につけられない。

 人間というものは、今までの生活を踏襲するから、なかなか無駄が身につかない。よほど環境が変わらない限り、それは難しいと思う。環境のせいにしたくはないが、自分から自発的に変わるなんてことはなかなか容易なことではない。

 無駄という楽しみを見つけるために無理して変わる必要はない気もする。目下のところ、大切なことは現在ある無駄でどこまで自分が楽しめるかだと思う。