保育園だった頃

 母方の祖母は、現在86歳(多分)だ。小柄で眼鏡を掛けており、体型はふくよかだ。若干耳が遠くなってきており、足も少し悪いが、それでもまだまだ元気だ。

 僕が保育園のときは、母は仕事で忙しく、保育園の帰りは毎日に祖母が自宅まで送ってくれた。あの頃は、現在よりも元気でバイタリティーに満ち溢れていた。

 祖母は生命保険会社、葬儀会社などに勤めていた経歴があり、祖母の実家は、彦根の城下町にあったものだから自営業もしていた時期がある。小さい頃、休みの日になると、よく母に向かって「れいこバァの所に行こ」や「市場に行こ」とよく言っていた。

 現在の市場は新しくなって、アーケードが取り壊され、また、建物なども新しいが、その頃の市場は、新しくなる前の市場だから古く、言い方は悪いが、小便のような匂いがしていた。

 僕が保育園の頃には、確かもう店は閉めていたような気がする。ただ、店(雑貨屋)にはいろいろな品物があり、夏になると、ネズミ花火や線香花火、そして、火を点けると蛇のようにくねくねなる花火などをして遊んでいた記憶がある。

 そういえば、母の弟、僕から見て叔父さんの家にも毎年、夏は必ず行っていたような気がする。僕は叔父のことをよく「やすし」と呼び捨てで呼んでいた。叔父の家は、祖母がプレゼントしたものだ。そのくらい祖母は、一時期は稼いでいた。

 しかし、僕が聞いた話によると、祖母の若い時分、極貧時代があったらしく、入水自殺をしようとしたこともあったらしい。けれど、しようとしかけたとき、嘘かホントか真意の程は分からないが、神父さんに止められたのだそうだ。

 あの頃の市場は思い出すだけで懐かしい。隣が干物や乾物屋だったことは覚えているが、他にどんな店があったのかまでは覚えていない。市場独特の匂いも好きだったし、雰囲気も好きだった。一時期、あまりにも市場に懐き過ぎて、自宅に帰りたくないと駄々をこねていた時もあった。けれど、現在は、当時の市場もないし、その店も跡形もない。

 形あるものいずれ滅ぶ。それが、自然の摂理。