思考の整理学 II 触媒

 詩人は自分の感情を詩にするのだ、個性を表現するのである、という常識に対して、自分を出してはいけない、とした。個性を脱却しなくてはならないというのである。それでは、個性の役割はどうなるのか。そこで、触媒の考えが援用される。

 酸素と亜硫酸ガスをいっしょにしただけでは化合はおこらない。そこへプラチナを入れると、化学反応がおこる。ところが、その結果の化合物の中にはプラチナは入っていない。プラチナは完全に中立的に、化合に立ち会い、化合をおこしただけである。

 詩人の個性もこのプラチナのごとくあるべきで、それ自体を表現するのではない。その個性が立ち会わなければ決して化合しないようなものを、化合させるところで、「個性的」でありうる。

 すぐれた触媒ならば、とくに結びつけようとしなくとも、自然に、既存のもの同士が化合する。さまざまな知識や経験や感情がすでに存在する。そこへひとりの人間の個性が入って行く。すると、知識と知識、あるいは、感情と感情とが結合して、新しい知識、新しい感情を生み出す。その場合、人は無心であることがのぞましい。

 発想が扱うものは、周知、陳腐なものであってさしつかえない。そういうありふれた素材と素材とが思いもかけない結合、化合をおこして、新しい思考を生み出す。発想の妙はそこにありというわけである。発想のおもしろさは、化合物のおもしろさである。元素をつくり出すことではない。