日記6 欲と欲求不満について

 適度な平和は、身体に安らかさをもたらすが、過度な平和は、身体を退屈させる。人間何事も適度な刺激がある方が、精神が塞ぎ込まない。多額の負債を抱えているわけでもなく、仕事に負われているわけでもない。ましてや生命の危険に瀕しているわけでもない。ただ毎日が平凡に過ぎていく。私の感覚としては、(私の)時間が止まっているみたいだ。

 

 今年で30歳になるが、25歳くらいから時が流れていないような気がする。現在では、退屈さにも慣れ、退屈を退屈だと感じなくなった。いや、心の奥底では退屈しきっている。もちろん、何もしていないわけではない。仕事は多少しているし、余った時間は、資格の勉強をしている。ただ、何か物足りない。ビールはビールでも気の抜けたビールという感じだ。カレーで例えるなら、スパイシーさに欠けるカレーだ。人生にパンチが欲しい。どうすれば、この欲求不満を解消することができるだろうか?


 もう過去には、戻りたくない。大学卒業して、地元の農協にわずかばかり在籍していたが、過酷だった。この回では記さないが、あともう少しで命を落とすところだった。


 彼女はいない。財産は、生活保護の人よりはあるだろうが、区分的に相対的貧困層に属しているだろう。世間一般でいう成功者や勝ち組ではないが、負け組だとは思っていない。先程、パンチが欠けると記したが、別に欠けていないのではないかと思うときもある。はっきりしないが、結論を出すとするならば、現状はさして欲求不満を抱えてはおらず、むしろ満足しているのかもしれない。


 私の場合、他人と自己を比較したときに、劣等感を覚える。だから、他人との比較が始まろうというときに、欲求不満が生じるのかもしれない。


 彼女がいる男性、金持ちの男性、いい肩書を付している男性に嫉妬している。何故だろう?自己の中に自然と競争意識が芽生えているのだろうか?


 現在、資格の勉強をしていると記したが、行政書士という資格を目指している。これは、いい肩書を得るために、毎日勉強しているのだろうか?全うな考えだと、相談に来る人の役に立ちたいから、行政書士の資格を取得するということになるのだが、私の場合これが全てではないような気がする。他にも、現状よりも社会的ステータスを得たいからという理由もあると思う。


 話がまとまらないが、人間は、常に現状より良くなることを目指して生きているような気がする。これも人間の欲に違いない。欲は、無形の物であり、宇宙のように限りがない(テレビかなんかで観たときに宇宙に限りがあったかもしれない)。欲を上手にコントロールすることができれば、欲求不満を感じることもなくなるだろう。そうすれば、退屈に感じることもなくなるだろう。そして、他人との比較が始まったときに、人間の欲は際限なく、膨らむのだと思う。