思考の整理学 I 朝飯前
人間はいつからこんなに夜行性をつよめたのであろうか。
そして、朝早く起きるなどと言えば、老人くさい、と笑われる始末である。
夜考えることと、朝考えることは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか。考えてみると、おもしろい問題である。
夜寝る前に書いた手紙を、朝、目覚めてから、読み返してみると、どうしてこんなことを書いてしまったのか、とわれながら不思議である。
外国で出た手紙の心得を書いた本に、感情的になって書いた手紙は、かならず、一晩そのままにしておいて、翌日、読みかえしてから投函せよ。一晩たってみると、そのまま出すのがためらわれることがすくなくない。そういう注意があった。現実的な知恵である。
「朝飯前」という言葉がある。辞典によると、「朝食前にも出来るほど、簡単だ」とある。しかし、元来はすこし違っていたのではないか、と疑い出した。
簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は、決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯前と呼んだというのではあるまいか。どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。
朝の仕事が自然なのである。朝飯前の仕事こそ、本道を行くもので、夜、灯をつけてする仕事は自然にさからっているのだ。
この後筆者は、朝飯前になるべくたくさんのことをしてしまいたいために、朝食を抜いて、朝食と昼食を同時に摂る方法を思いつく。こうすることによって、朝起きてから昼食を食べるまでは朝飯前になるということだ。
さらに一日自由になる日は、その後、布団を敷いて本格的に寝るそうだ。やがて目がさめる。一瞬、昼下がりを朝と取り違えるようであれば、たいへん効果的だそうだ。それをもって自分だけの朝とする。
こうすれば、一日に二度、朝食前の時間ができる。寝て疲れをとったあと、腹に何も入っていない、朝のうちが最高の時間だと容易に理解される。いかにして、朝食前の時間を長くするか。
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