日記2 自分

 私の頭上には雲一つない澄み切った青空が広がる。梅雨に入ったが、その気を全く感じさせない。沿道の植込みの紫陽花は、どことなく元気がない。街頭は通勤ラッシュの最中で、大勢の人々が目的地へと向かって忙しなく歩を進めている。ショーウィンドウ越しに自分の姿が映っているか確認した。私は、安堵の溜息を漏らした。もし、自分の姿が映っていなかったらどうしようと不安を覚えたからだ。

 

 自分に関わりの薄い人間のことなどすぐに忘れる。ある程度関わりがある人間であっても、何年も面識がなければ忘れる。けれど、自分を忘れることはよほどでない限りない。何故だろうか?それは、自分が主であるからだと思う。社会的な地位がどうであれ、自分が主であることに変わりはない。

 自動車が走る交差点に飛び込んだら死ぬのは誰?紛れもなく自分である。自分が飛び込んだのに自分が死なず、他人が死んだら恐ろしい。

 今日の晩ご飯、刺身が食べたいと思ったのは誰?これも紛れもなく自分である。自分の思ったことがそうではなくて、他人の思いになったらこれまた恐ろしい。思いが一致することはあると思うが。

 他人との付き合いよりも自分との付き合いの方がはるかに長いから、自分を忘れることはないのだろう。


 もう一度ショーウィンドウに映った自分を見つめる。不思議だ。他人は大勢いるのに、自分はこの世に一人しかいない。街頭を振返えれば、少し通勤ラッシュが和らいだような気がする。さぁ、私も目的地に向かって歩くとするか。大勢いる他人と一緒に。